地震に備える

 日本ではさまざまな災害が起きますが、その中でも地震は起きた時には勝負がついているためにどれくらい事前にしっかりと準備をしておくのかが大切になります。
 地震への備えとして、一番大切なのは何かの下敷きにならないことです。
 地震の揺れでも、揺れだけで死んでしまう人はほとんどいないと思いますが、揺れによって生じる建物の倒壊や家具などの転倒では、怪我をする人がでてきます。
 つまり、何かの下敷きにならないように対処しておけば、とりあえず命を守ることはできるはずです。
 例えば住んでいたり出かけていく先がきちんと耐震化されていることで、建物の下敷きになる可能性を下げることができます。
 また、家具や電化製品の配置を考えたり、寝室から撤去することで、それらの下敷きになることを防ぐことができます。
 机などの遮蔽物の下に身を隠すのもいいとは思いますが、まずは落下物になりそうなものを撤去することでより安全が確保できます。
 いつどんなときに起きるのかがわからない以上、どこにいても下敷きにならないように気を付けておくことが大切だと思います。

目的と手段

 どんなことであれ、「目的」を達成する、そのための方法として「手段」が存在しています。
 ただ、どうしたものか、よくこの目的と手段がひっくり返ってしまうことがあるので注意が必要です。
 防災関係でいえば、最終的な目的は「自分の命が安全に確保できること」で、そのために自主防災組織やその他のさまざまな支援の形が存在しています。
 ところが、例えば自主防災組織を作ることが「目的」になってしまって、組織を作るための手段が模索されているという不思議な事態が日本のあちこちで起きています。
 自分の命が安全に確保されるのであれば、自主防災組織がなくても問題はないはずなのですが、なぜか「自主防災組織がなければ自分の命が守れない」として、無理やりに組織化しようとしているケースをあちこちで見ることができます。
 こうなってしまうと、組織化が目的なので、組織ができると目的達成となり、その後放置になってしまっているのものも、筆者の知る範囲では非常に多くみられます。
 防災に関して言えば、「自分の命を安全に確保すること」が目的で、その手段として、例えば自主防災組織があったり、地区防災計画があったり、マイタイムラインを作ったりするのです。
 そこをしっかりと理解したうえで、目的と手段を間違えないように対策を考えていきたいものです。

安心の心理

 2023年3月13日をもって、新型コロナウイルス感染症対策としてのマスク着用は個人の考え方に委ねられることになりました
 一応、これで国を挙げての新型コロナウイルス感染症対策は終了に向かうと考えていいのでしょうが、それにしてもさまざまな情報や流通の混乱に振り回された方も多かったと思います。
 今回は使い捨てマスクや消毒用アルコールが店頭から無くなって、売っているのは馬鹿高い出所の怪しい商品だけという状態が続いたわけですが、供給がされてもマスクが足りなくなることを恐れて買い占めに走った方も多かったようで、生産はしているのにマスクやアルコールが店頭にないという不思議な状態が結構長く続きました。
 買い占めする必要はないと政府や行政が言ったところで、買い占めの心理は手に入らないかもしれない不安から発生しているのですから理屈ではありません。
 不安が解消されない限りは買い占めは続いてしまうのです。
 今回はコロナ禍でしたが、これに限らず大きな災害が起きると被災地ではさまざまな商品が欠乏します。
 不思議なもので、そのうちに手に入ることは頭では理解できているのですが、それでもあるものを買い占めてしまうという心理が起こります。
 それは「いつ」「どれくらい」という情報が欠けているために起こることなのですが、海外で生産しているのでいつどれくらい入荷できるのかがまったくわからない状況が続いてしまいました。国内生産ならある程度の予測ができたのでしょうが、安さを求めて海外に進出してしまった結果、作ってもいつ届くのかが予測できなくなって今回のような騒動が起こってしまいました。
 いつ、どれくらい、どのように入手できるのかがわかれば、予測ができます。予測ができれば、善かれ悪しかれ心理的には安心するのです。
 安全は物理的にわかる世界ですが、安心は心の中の問題なのでそう思えるかどうかは個々人の考え方でしかありません。安心を担保したいなら、状況や解決する時期をしっかりとわかるように被災地の人に知らせること。
 それが大切なのではないかと思っています。
 ちなみに、マスク着用が個人の考え方に委ねられるといっても、無制限にマスクをつけなくていいという話ではありません。少なくとも、咳が出るようなときには、マナーとしてマスクをつけるようにしてほしいなと思っています。

小銭が必須なわけ

小銭=10円玉だけとは限らない。

 災害後に停電が起きると、電子マネーやクレジットカードは一切使えなくなります。
 そうなるとお店での支払いは現金になるわけですが、お札は釣銭が難しいことからお店で販売を拒否される場合も出てきます。
 非常用持ち出し袋のアイテムの中に「小銭」が入っているのは、公衆電話を使うときだけでなく、手近なものをお店で購入するときにも必要だからなので、数十円ではなく、ある程度まとまった硬貨を準備しておく必要があります。
 出先で被災するときに備えて普段からある程度の小銭を持って歩いておきたいところですが、せめて100円玉1枚、50円玉1枚、10円玉5枚の合計200円は準備しておきたいところです。
 これだけ準備しておけば、飲み物を1本と、公衆電話での電話くらいはできますし、持ち歩きにもさほど邪魔にはならないと思います。
 小銭はいろいろなところであると重宝します。ちょっとでもいいので普段から持ち歩くようにしておきたいですね。

防災計画は現実的ですか

 東日本大震災における大川小学校の損害賠償請求事件では原告が全面勝訴しています。このことは割と有名な話なのですが、この中で裁判所が「事前防災の予見と不備」を大きな理由にしていることはご存じですか。
 人が集まっている学校などでは、想定されうる災害についてきちんと精査し、条件変更のたびに防災計画をきちんと見直すことが必須とされています。
 詳細は裁判所の判例をご確認いただきたいのですが、筆者の解釈では、この判例の前提にあるものは、学校に限らず、人が集まる施設では起こりうる災害とその対策についてしっかりと精査したうえで可能な限り犠牲者を出さないための対策を行う必要があるということなのではないかと思っています。
 学校や病院、介護施設、保育所やこども園などでは、ほとんどの場合防災計画が作られていると思います。ただ、それはきちんとそれらがある場所の状況を反映し、的確に安全確保ができるものになっているでしょうか。
 特に介護施設などでは、筆者の知る限りでは防災計画のひな型を適当に手直ししたものが備え付けられていることが多いですし、見直しや改訂もまったくされていないものもよくあります。
 法律上は防災計画が立てられていて計画書が備え付けられているので問題がないと判断されるのですが、それで安全がきちんと確保されているでしょうか。
 防災計画を一から作れというのは結構ハードルが高いと思うのですが、これらの施設に義務付けられている避難訓練の状況や結果を防災計画書に反映させることはできると思います。
 もしあなたが防災担当をしているのであれば、今からでも遅くはありません。
 自分の担当している防災計画書を見直し、地域の災害リスクや要件をきちんと満たせているか、そして実際に安全確実にできるような計画になっているかを確認し、しっかりとした安全を確保してください。
 余談ですが、介護施設は特に地域の中では危険な場所に建てられていることが多いです。立地からすでにリスクがあるのですから、しっかりとした対策を作って実行できるかどうかを確認することをお勧めしておきます。

大川小学校津波訴訟判例文(裁判所のウェブサイトへ移動します)

日常生活の中の防災

 防災というと非日常に備えるというイメージがあるようですが、日常生活の中にこそ防災は存在します。
 普段の生活で危ないところや気を付けたほうがいいところは、災害時にも危なかったり気をつけないといけなかったりしますし、普段の生活でやっていないことは非常時にできるわけはありません。
 災害という非日常では、普段の生活がより極端に出てくるだけですので、防災というのは日常生活の延長線上にあるのです。
 そう考えると、普段からちょっと気を付けておけば非常時にも備えることができることになります。
 災害は非常事態ではありますが非日常ではありません。日常でのいいこと悪いことが極めてわかりやすく極端に見えるだけなのです。
 日常生活の中にこそ防災があるのだという意識で、何気ない日々の生活に災害対策を取り入れてほしいと思います。

地震の強さと時間の関係

 地震の強さと揺れている時間は割と比例しているようです。
 気象庁のウェブサイトによれば、「日本付近で発生する地震による強い揺れは、マグニチュード7クラスの地震であれば約10秒間、マグニチュード8クラスの地震であれば約1分間、マグニチュード9クラスの地震であれば約3分間継続します。」とあり、強い地震ほど長く揺れる傾向があるようです。
また、マグニチュード自体は小さくても、震源が複数になると長くなる傾向があります。
 例えば千葉県によると、関東大震災はマグニチュード7クラスの地震が3回立て続けに起こったとされており、5分程度揺れていたようです。
 揺れる力が強いか、揺れる時間が長くなれば被害は大きくなりますが、実際にいつどんな地震が起きるのかは、起きてみないとわからないというのが困りものです。
 世界的に大きな地震が毎日のように起きていますが、地震の揺れが長いときには、とりあえず大きな被害が出そうだなという意識でいれば間違いなさそうです。
 ちなみに、マグニチュードの数字が一つ大きくなると、その力は約32倍に増えます。単純に乗数で増えていくので、例えばマグニチュード1と3では、数字が2つ大きくなるので32×32=1024となり、力の強さは約1,000倍大きいことになりますので、マグニチュード7や8では大きな被害が出るというのはイメージしやすいのではないでしょうか。
 ともあれ、揺れている間の時間は体感的には短い時間でも非常に長く感じるものです。大きな揺れが収まったら、とりあえず安全確保、それから情報収集をするようにしてください。

気象庁:震度・マグニチュード・地震情報について(気象庁のウェブサイトへ移動します)

関東大震災(関東地震)(千葉県のウェブサイトへ移動します)

わかっていることとわかった気になっていること

 どんなジャンルにもその道のプロと言われる人がいます。
 防災という分野でも、たくさんのプロ講師がいて、日々日本中を駆け回って講演会をやっています。
 有名どころの人の講演会を聞くと「なるほどな」と思うことも多いのですが、1時間もたつときれいに忘れていたりする自分がいて、それはどうしてなんだろうと考えてしまうことがあります。
 一つには、その人の講演が上手にまとまっていて、疑問を挟む余地がないので記憶に残らなかったことなのかなと思います。
 それから、そういった人の講演会は全国や日本という大きなくくりの話になりがちのため、目の前の自分の地域や自分のいる場所に落とし込めておらず、自分のことになっていないこともあるのかなと思います。
 地域のことにしっかりと災害対策を落とし込むためには、長期戦でじっくりと、災害対策がその地域にとっての当たり前になるまでやり続ける必要があります。
 年に1回くらい「いい話」を聞いても、最終的にわかった気になっているだけで自分事になっていないため、毎年やっても状況が変わらないということはあるのかもしれません。
 では、本当にわかってもらうためにはどうすればいいのかというと、偉くて有名な人を呼んできて講演をやってもらうよりも、地域に根差した防災活動をやっている人と一緒に地域の防災対策をやり続けることではないか。
 実はこれは非常に難しいことで、片手間にできることではないですし、やり続けることはもっと難しいように思えます。
 ただ、災害対策として取り組むのではなく、地域づくりの一つとして地域活性化の一つの手段にしてしまえば、地域づくりをする限り災害対策は進んでいきますし、忘れられることもないと思います。
 行政機関も自治会も、災害対策の定義を一度考え直して、地域がどうあったらいいのかをしっかりと考えることがわかっていることという状態にするには必要なことではないかと思います。

とりあえず試してみること

 災害後の生活では、さまざまな人がさまざまな代替品・代替手段の情報を提供していますが、その代替品や代替手段を実際に試してみた人はどれくらいいるでしょうか。
 例えば、トイレ問題。
 トイレが使用できない場合には大人用のおむつをつければ安心です、といった話を見ることがありますが、実際につけてみたところ、吸収した後の状態がかなり気になって気が散り、筆者自身は何かに集中することはちょっと難しかったです。
 むろん全く気にならない人もいると思いますのであくまでも個人的な意見ですが、それを体験したことにより、筆者自身は便器につけられる簡易トイレを数日分準備することにしました。
 ちゃんとしたおむつでもかなり気持ち悪く感じるのですから、赤ちゃんのおむつの代用品としてよく紹介されているタオルとポリ袋などは、赤ちゃん大泣きまっしぐらになると思います。
 タオルとポリ袋の組み合わせは、普通の布おむつと同じ状態なので、赤ちゃんが排せつするたびに替えてやる必要があります。でも、被災直後にそれだけ衛生的なタオルを準備できるのであれば、最初から紙おむつを準備しておけという話になります。
 試してみると意外なことがわかることは他にもたくさんあります。
 いろいろとやってみている筆者ですが、印象としては普段の生活で使用しているものはできる限り普段通りのものが使えるように準備し、そうでないものについては代替品や代替手段を知っておくことがいいようです。
 代替品はあくまでも代替品。代替手段はあくまでも代替手段。
 とはいえ、代替品や代替手段でも自分は大丈夫かもしれません。それを確認するためには、平時にいろいろと試してみること。
 そうすることで自分に必要な準備が見えてくると思います。

小さな危険で学ぶ

空き缶クッキングでは刃物も使うし火も使う。でも、気を付けていれば事故は防げる。

 最近はちょっとでも怪我をすると管理責任を問われるそうで、自治体の作る公園などから遊具がどんどんと撤去されているようです。
 ただ、怪我をしないということはそれが危ないということが体験的に理解できないということなので、本当にそれでいいのかなと考えてしまいます。
 例えば、身近な話では包丁を子供に使わせるのは危ないからやらせないというおうちがあるそうです。
 では、包丁が危ないということを、やらせないという人はどうして知っているのでしょうか。包丁で指を切ったりするような怪我をしているからこそ、危ないし痛いことを知っているのではないですか。
 人の成長が基本的なことを体験や経験から判断するようになっている以上、ある程度の危ないことは体験しておかないと最終的に大けがや死を招くような失敗をやってしまうのではないかと心配してしまいます。
 ちなみに、当研究所のやっている子どもの防災キャンプでは、直火や刃物を使うことがあります。また、さまざまなぱっと見に危ないことをやることもあります。
 ただ、その中で指を切ったりやけどをしたりすることで、取り扱いに気を付けるようになりますし、同じ失敗はしないということが殆どです。
 危険であることは変わらないのですが、その危険の危ない理由を知ることで、危なくない使い方、あるいは危険回避の方法を学ぶことができるのではないかと思います。
 小さな危険を見守ってやり、大きな危険を防いでいくのも、危険なことをさせないという一つの方法なのではないかと思います。